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夢街道
肉食雑記(1)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
肉食雑記(1)
2015/05/01
夢街道
すき焼き屋の話から、牛肉を食するようになった経緯について、書いてきた。前回で幕を引くつもりだったが、いまや牛肉は、内臓から尻尾まで、日本人が賞味する時代になっている。神戸牛の人気は世界的に高く、一方、貿易の面では、外国からの輸入は、常に議論の中心になるほど日本人には親しい食材になっている。日本人と牛肉の関係について、問題点別に書きとめてみたい。
天皇と、牛肉食とのかかわりからはじめよう。
岡田哲の「たべもの起源事典」は、歴代天皇が動物を対象に発した殺生禁断・放生令を紹介している。
はじまりは六七五(天武四)年、天武天皇の「牛・馬・犬・猿の肉を食うことなかれこのほかは禁制にあらず、もし侵す者あらば罰せむ」というものだ。七二一(養老五)年には、元正天皇が、仏教上また仁愛を理由に、鷹・鵜・鶏・猪を逃すよう命じている。七三〇(天平二)年、聖武天皇は、猪・鹿の乱獲を禁じる詔をだす。七三二(天平四)年には,干ばつのため、私畜猪四十頭を放生した。聖武天皇は、さらに七四一(天平十三)年、馬・牛は、人に代わりて、勤しみ勤めて人を養う。天武天皇が先に明らかにされているとおり、屠り殺すことを許さず、と詔している。
七五八(天平宝字二)年、孝謙天皇は、光明皇太后の病平癒祈願のため猪・鹿の殺生を禁じた。桓武天皇は、特に牛にたいして敏感だった。七九一(延暦十)年と八〇一(延暦二十)年には、漢神供犠の禁を理由に牛の殺生を禁じ、八〇四(延暦二十三)年には、労働力としての牛の殺生も禁じている。
それから千年余後の一八七二(明治五)年、肉食への姿勢が一転する。その年の一月二十四日、明治天皇は、古来、肉食を禁じてきたのはいわれなきこととして牛肉を試食された。体位向上に資する食べ物として、肉食は欠かせないとして、肉食解禁と同時に、奨励のためのPRでもあった。
岩田照彦
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