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夢街道
屠殺の話(1)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
屠殺の話(1)
2016/01/01
夢街道
牛肉の話を書いてきた。が、牛肉を食するためには、屠殺という入り口がある。この作業なしに、人の口には入らない。神戸における屠殺の事情について、昭和五十九年十一月に神戸食肉青年会が発行した「但馬牛と神戸肉」から、神戸屠殺事情を書きとめておきたい。
安政年間(一八五四~一八五九)になると、牛肉を細かく切って煮たものを縄にさし、干乾しにしたものが各地で売り出された、という。一般に牛肉を食する習慣のない時期だから、干し柿の手法で、薬能を売り物に普及したものだろうか。古くから牛肉に馴染んでいた彦根藩をはじめ、広い地域で売り出されていたらしい。このため屠殺牛の数が、年間三四〇〇頭にものぼったという。牛の需要は、安政から慶応(一八六五~一八六七)のころになると、肥料に牛の骨粉を使うようになり、年間一〇〇〇頭の牛が消化されたらしい。
晴れて牛肉を食することが公にならない時代だから、干物にしろ肥料にしろ、原料を供給するための公の屠殺場はなく、黙認された私営の業者に頼っていた。そんななか、開港のため神戸へやってきた肉食の外国人の乗組員は、牛肉を手に入れるのに困ったようだ。近くの農家に牛の購入を申し入れても、家族の一員として作業をになう牛を簡単に手放すところもなく、売買する業者をみつけてやっと生牛を手に入れた。が、屠殺や解体の業者はみつからず、船の中で行ったが、陸上での作業が便利だと慶応二(一八六六)年からは、兵庫の和田岬の松林のなかで屠殺・解体作業を行った。
神戸に外国人が住み始めると、牛肉なしではすまなくなる。牛の調達と屠殺場の整備は、食生活を維持するため欠かせない。そこに目をつけたのが、横浜で雑貨とマッチを輸入する貿易会社を営んでいた英国人のキルビーだ。雑居地に指定された二つ茶屋村の海岸にあった森本五兵衛の酒蔵を借りて神戸ではじめての屠殺場を開業、同時に肉屋も開業する。しかし地域は急速に発展、明治元年になると欧米人や清国人が近くに住むようになり、英国人のテポールが開設していた生田川尻の屠牛場へ移転する。ここでキルビー、テポール、テルシン(米国人)、ミンガル(仏)ら九人の手による屠殺場を設置、明治三年まで稼働させている。そこに日本人の名前はなかった。
岩田照彦
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