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夢街道
柴田剛中(1)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
柴田剛中(1)
2004/08/01
夢街道
短いあいだだが、二つ茶屋村の住民だった柴田剛中(たけなか)についてかく。
剛中が、二つ茶屋村にやってきたのは慶応三年(一八六七)七月、兵庫開港準備のためである。大阪町奉行・大阪居留地問題を担当する外国奉行をかね、開港の任にあたる兵庫奉行としてやってきた。
剛中は、二つ茶屋・善福寺の一室に居室をかまえる。大阪との兼務であり、居留地造成が中心になる仮の住まいには最良の場としてえらんだ。
文政六年(一八二三)一月十七日、江戸小石川で、柴田良通の長男としてうまれている。父は幕臣ではあったが、下役で早世した。十歳で死別した剛中には、跡をつぐめぐまれた座が、幕府のなかに用意されていない。しかし、ひと一倍すぐれた判断力をそなえていた。 十九歳で徒目付となり、三十歳のとき評定所勤務、安政五年(一八五八)八月、三十五歳で外国奉行支配組頭になり、神奈川の開港に奔走する。剛中の幕府における役割は、そこできまったといってよい。外人殺傷事件の処理、貨幣兌換問題の解決、欧米外交官との交渉の場にはいつも剛中がいた。
文久元年(一八六一)年十二月、剛中三十八歳。外国奉行組頭として遣欧使節竹内保徳一行三十八名に随行、はじめて海をわたる。開港期限延期交渉の旅である。
十二月二十二日品川沖を出帆、長崎から翌年一月六日香港からシンガポール、トリコマリー、アデン、マルタ島をへて三月五日マルセーユ着。リヨンからパリにはいったのは三月九日である。
ロンドンでは、万国博覧会の開会式に出席する。そこにならぶアームストロング砲、数知れない蒸気船のひな型、各国の地形、城郭、海岸の砲台など、何日もかけて見学した。さらに機械製造工場、紡績機、印刷機をおしえられ、汽車が走り、車がゆきかうまちをぬって気象台、大学、軍事学校、演習場、砲弾工場、砲車工場、兵器貯蔵庫、博物館、病院、養老院、身体障害者のための教導院まで、一行は精力的に西洋の現実をおう。剛中は、操業中の炭鉱を見学するためニューカッスルまで足をはこび、ノース・シートン炭鉱では随員二人と坑内までおりている。
一行をベルリンに迎えるイギリス駐在ドイツ公使は、母国に報告している。
「訪問者は、彼らと交わるものに必ず好印象をあたえ、すぐれた知識や理解力は、人に好意をもたせるのに十分であり、文明国への最初の訪問とは、信じられないくらいである」
岩田照彦
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