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夢街道
肉食雑記(2)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
肉食雑記(2)
2015/06/01
夢街道
「仏教上の理由から牛肉を食べない話はよく聞くが、その関係はどうだったのか。
続日本紀巻第八によると、元正天皇は、殺生を禁じる「李釈」の教えに従い鷹・狗・鵜・鶏・猪を、ことごと放すよう命じるくだりがある。
その根拠とした「李」は老子の意で、道教をさす。「釈」は釈迦の意で仏教を代表する。
老子には、殺生を禁断するという教えはなく、釈迦には殺生をいましめても獣を食することを禁じてはいない。解釈のまちがいか、そう理解していたのか、信じられた理由はわからない。それでも有効な詔とされたのは、一般の庶民には素直にうけいれるだけの習慣があったのだろう。
日本に仏教が渡来してからというもの、牛を食する習慣は、庶民から遠ざかっていたことはまちがいない。農耕民族にとって、人の十倍の作業をこなす牛馬は、頼りになる共同作業の仲間である。日々の農作業に欠かせない仲間を食することなど、考えられないことだったろう。そうした思いは仏の姿としても出現する。馬の安全祈願や供養のためにまつるのは馬頭観音であり、牛の上に座る大威徳明王もあり、牛神もある。四足を食べれば神をけがす、神仏に手を合わせることもできないと、広く信じられてもいた。肉は魚肉で充分、血気さかんな者が食べれば、清らかでない血が体内に生じて、腫物や痘瘡ができるという医学上の説まであったという。
十六世紀の半ば、日本へやってきたポルトガル人の宣教師が率先して牛肉をたべ、信者にも饗応した。京都では牛肉を「わか」と呼んで賞味したという。「わか」はポルトガル語でVacaと書き、牛肉の意味である。身近なパートナーへの信仰は、牧畜を主とする国とは、牛馬に対する思いが異なるのだ。豊臣秀吉は、キリシタン令のなかで、「牛馬を売り買い、殺し喰うこと」も禁止している。
一八六八(明治元)年、神仏分離令がでると、「肉食をけがれとしたのは仏教渡来以後のよくない風習」として喧伝する。
神と仏に翻弄された肉食である。
岩田照彦
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