神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

神戸、貿易のはじまり

神戸、貿易のはじまり

 前回、外国人との取引を目的に明治元年一二月、業者仲間への参加を申請した三村のひとたちを紹介した。
 お互い、珍しい物を売り買いする。貿易が許された当座、おたがい珍しいものづくしである。もはや役立たなくなった鎧を買い入れて、十倍もの値段で外国人に売る。買い取った方にも、また大きな利益をもたらす。かたことでも外国人と話ができれば商いになった。神戸税関に、明治元年の記録がある。
 輸入商品のなかでめだつのは布地の類いである。大羅紗、編耳羅紗、英呉呂、並羅紗、天鵞織 アルパカ、呉呂服、唐桟、毛綿交織、生金巾、紅金巾、白金巾、小巾金巾、寒冷紗、柳条布、寒冷紗、更紗、木綿、帆木綿、ブランケット、繰綿、撒布藍、さらには釦釼(ボタン)まである。
 日用雑貨の品目も多い。掛時計、袂時計、家具、支那紙、紐類、靴、書籍、石鹸、硝子板、蝋燭、胴乱、馬具などがならぶ。
 食べものでは砂糖、麦酒 酒類、大豆 麦粉 食用油 漬物類がある。
 そのほか小銃とその付属品、火門(銃砲身の口)、弾丸も入っている。
 慶応四年二月十七日、伊藤俊介が外国人から商品を買い取ったときは運上所(税関)へ届け出るようひろく通知した。その年の九月、慶応四年は明治元年となる。税関記録は、明治元年分とあるから、慶応とよんだ年月もふくむ一年の集計であろう。
 原料とみられるものでは銅、熟鉄、鉄葉、鉛塊、亜鉛がある。
 龍吐水も顔をだす。ポンプ式の消火用具である。
 これらの品々は、ほとんど日本では、まだみられない商品である。日本人むけに販売を目的にしたものもあっただろうが、神戸に住まいをかまえるための、外国人のための生活用品でもあったにちがいない。龍吐水をもちこむなど、木造の建物群をみた外国人の防火意識をおもわせる。
 一方、神戸から外国へでていった商品は、食品でお茶、刻昆布、板昆布、乾鮑、煎海鼠、鯣(スルメ)、椎茸、五升薯、寒天、素麺がある。
 繊維類には生糸、玉糸、漏斗糸、くず糸、真綿、木綿織物があり、油脂には木蝋、菜種油、蜜蝋をあげている。薬品に使用される原料として樟脳、牡丹皮、五倍子がある。そのほか、蚕卵紙、鹿皮、木炭、棕櫚皮、小間物があげられ、塩漬肉や石炭は航海途上に必要な船用品として輸出した。
 これらの品々をもたらした船の数も記録されている。
 明治元年の一年間に入港した船は二百隻にのぼる。
 国別のうちわけは、英国の蒸気船が一〇八隻、同じく帆船三五隻でもっとも多い。それにつづくのが米国の蒸気船六十二隻、同じく帆船十一隻である。外にはオランダの蒸気船三隻と同じく帆船三隻、フランスの帆船一隻、ロシアの蒸気船一隻などである。
 明治元年、このにぎわしい交易が、三村の目の前の地で繰り広げられている。
岩田照彦
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