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夢街道
屠殺の話(2)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
屠殺の話(2)
2016/02/01
夢街道
日本人の経営による屠殺場が登場するのは明治四年のはじめである。外国人が経営する生田川尻屠殺場の隣接地に、屠殺場の設立を許可された藤田組、宇治野組、神戸組、大栄組、京都組、協救社養豚所の六社による「鳥獣売込商社」が発足した。周辺住民への環境を配慮して、設備をまとめる方針を貫いたのだろう。鳥獣肉を売り込むための商社、つまり生きた牛を処理する屠殺場だが、屠殺という行為を主体にせず、その先にある販売に視点を据えた会社名である。屠殺というのは、まだ日本人の感覚にはなじまなかったのだろう。しかしその年の三月、各社に許可された屠殺場の建設は、宇治野組一社にまとめられ、他の商社の屠殺場建設は取り消された。理由は明らかでないが、屠殺作業は一社にまかせ、他社は、販売に徹することになる。明治八年のころになると、工場と販売の分離形態が功を奏したのか、販売用の牛肉は、日本人の業者が大半を占めるようになった。
が翌九年、事件が起こる。兵庫県は、日本人の屠殺業者に対し、屠殺検査手数料として牛一頭につき、五〇銭の屠殺検査料の徴収を始めたのである。当時の米価は一升が五銭、宿賃が五銭から二十銭くらいだったというから、かなりの手数料になる。このため日本の業者による屠殺数は減り、食肉販売業者も外国人屠殺業者からの仕入れを余儀なくされた。屠殺検査料の徴収が、外国との不平等条約を根拠にしたものであることを突き止めると、県庁へ陳情、巻き返しをはかる。県も陳情の趣旨を理解、明治十一年七月、屠殺手数料を半額の二十五銭に引き下げた翌十二年八月、今までの規則が廃止され、新しい屠牛取締規則がスタート、兵庫県下の屠場は六か所になり、その年の屠殺数は三一九二頭にもなる。
明治十五年三月、屠牛場取締規則の改正、翌年二月、食肉営業取締規則の公布で、外国人経営の屠殺量は減少の一途をたどり、神戸市内で屠殺される七から八割は日本人経営の屠場からのものになった、という。
明治十六年二月、小野浜にあった日本人経営の屠殺場は、葺合村へ移転する。キルビー商会が、小野浜にドックをつくるためである。
明治二十年になると、屠場は、兵庫県下に二十八か所を数えるようになっていた。
岩田照彦
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