神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

鈴蘭灯の仕様と設置場所

鈴蘭灯の仕様と設置場所

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 元町商店街の初代鈴蘭灯は、どのような仕様だったのか。
 当時、鈴蘭灯を伝える記事は神戸又新日報、神戸新聞の日刊二紙が、それぞれ高い関心をもって断続的に紹介していた。その記事を比べると、本数で百二十本と百四十五本、高さは二十一尺と二十二尺、アームの長さは七尺と七尺五寸、電灯個数も八個と九個、設置方法には千鳥式と左右一対がある。
 取材の時期、取材源、その他の理由もあろうが、新聞記事の性格上、作業経過中の記事であり、記事にしたあと、変更の情報を得たこともあろう。完成したものは、どのようなものだったのか。最終的な形としてどれを選ぶか、困っていたところ、光文化研究家で照明デザイナーの藤原工氏から貴重な資料を見せていただいた。昭和二年十月十三日付け財団法人東京市政調査会が発行した「街路照明」である。それによると、
 元町通に設置された鈴蘭灯は京都寺町通と類似のもので、九米幅の道路にほぼ十八米の間隔で百四十六基を千鳥状に配置した。鋼鉄筋でできた一柱あたりの灯数は、路面上四・五米から六・四米の範囲に九個の電球をとりつけた。上端の電球は八〇ワットの大きさで、他の電球は四〇ワット。これとは別に臨時に電球を取り付けるための捩込装置も用意した。一灯に九個の電灯をつけるが、中央の六灯は、必要に応じて消すこともできる配線になっている。現在、架空線からの電源だが、将来の地中線化にそなえて変更できるようにも設計した。
 道路への鈴蘭灯設置許可願を神戸市へ提出したのは大正十五年九月で、申請者は神戸元町通街路照明建設委員会。市は県保安課からの意見を受け止めた上で、工事施工には土木課の指示監督を受けること、街角付近の灯柱は曲角点より一米以上隔てる、などを条件に昭和五年三月三一日までの道路占有を許可している。完成直後の資料であり、これが元町商店街鈴蘭灯の最終仕様、ということになる。
 元町通の道路照明が脚光をあびたことから、他の町でも建設の話がもちあがり、兵庫県保安課は大正十五年十一月、道路照明建設灯建設に関する訓達をだしている。歩車道が別の内道路では有効幅員五・五米以上の道路であること、歩車道の別ある道路では歩道の車道側に、その他の道路では路端に建設する。設置場所は側溝より〇・九一米以上の距離を有せざること、材料は鉄製造またはコンクリート製、道路に突出したものあるとき、突出部分は道路の方向に回転できる構造にする、照明灯最下部ランプ下端と路面の間隔は四・五米以上にする、などだ。

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 京都寺町の鈴蘭灯は、祇園まつりの鉾を通すためアーム部分を回転構造にしたという。元町一〇〇年誌に「皇室の方などがお通りの時は危ないというので、上の飾りの部分だけ回して左右に移動」させたとある。国の指導を受けた県の訓達だとすれば、アームの回転構造も単純な動機ではなかったようだ。
岩田照彦
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