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夢街道
貨 幣
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
貨 幣
2009/12/01
夢街道
元町・夢街道の連載のなかで「西国街道」(二〇四号掲載)からのシリーズは、商いの場所としての「道」、いわゆる商業道路として(元町商店街)の始まりはいつか、その時期を知りたいために書いている。
商いには、商品と商品の仲立ち役をつとめる貨幣がいる。価値の基準を仲立ちする貨幣の存在がなければ、商いは始まらない。
元町地域に流通した通貨のことも、取り上げた時代のなかでは紹介してきたが、元町商店街の始まりをたずねる意味から、改めて貨幣と流通の生まれを確認しておきたい。
日本の貨幣が生まれたのは七〇八年(和銅元年)和同開珎の鋳造にはじまる。その年の五月に銀銭が発行され、八月に銅銭が誕生した。
当時、近隣の諸国では、中国が先進国だった。唐の高祖李淵が随を倒し天下を統一すると六二一年に新たな銅銭を作り、「開元通宝」とした。直径二・四九センチ、重量三・七グラム。均質な貨幣が大量に鋳造され、その流通範囲は中国にとどまらず周辺諸国にまで及んでいることを知った大和政権は、銭貨制度をととのえ唐のように律令制度の確立をはかろうとした。
貨幣が貨幣としての価値をもつのは、物品との交換機能である。政府が、貨幣の交換機能の実験に選んだのは、農産品を盛り付けて値段を書き、銭函を置いて無人販売する、田舎の路傍で見かける手法である。諸国から都へ税金として納める絹、糸、綿、布そのほかその土地の特産物などを運ぶ運脚に一袋の銭を持たせて、豪富の者に、所有する米を街道において、望みに従い売買せよとの勅をだしている。運び人だけに、自分の食べ物を調達する財は、軽くかさ張らない方がよい。山口あたりからになると都まで、荷物を運ぶ行路は二十一日を要し、帰路は十一日の行程である。「道」が物と貨幣の交換の場に使われた始まりともいえるが、どこでどれほどの米が動き、貨幣が使われたのか定かではない。
政府のそうした措置にもかかわらず、豊富に出回る貨幣は、庶民のあいだでは宝物、いわゆる賞玩物として流行する。品物で、貨幣を買い入れるのだ。
七〇九年(和銅二年)政府は「銀銭四文以上の品は銀銭を用い、三文以下は銅銭を用いよ」というような勅をだす。
七一一年(和銅四年)に定められた禄令に見える春と秋に支払われる季禄に、正従二位の季禄としてあしぎぬ三〇疋、糸一〇〇絢、銭二〇〇〇文が登場する。七一二年(和銅五年)の冬には、宮城や都城造営に雇役していた人に対する賃金も銭で支払った。諸国から都へ送る調庸も、布一常(七二センチ幅で四メートル)につき銭五文の割りで、銭でおくるよう命じている。その命通り銭による調が、はじめて諸国から都へ送られてきたのは七二二年(養老六年)であった。一〇年してやっと令が実行されたのである。そのとき貨幣で送ってきた国は、伊賀、伊勢、尾張、近江、越前、丹波、播磨、紀伊など畿内周辺の八カ国である。
日本の国で、貨幣が流通したのは八世紀初めのことで、千三百年以上も昔のこと。元町商店街がはじまるはるか昔から、貨幣が存在したことにまちがいはない。
岩田照彦
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