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夢街道
元町の教育事情(14)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
元町の教育事情(14)
2013/12/01
夢街道
お祝儀
間人寺子屋について「授業料其の他経費」の項から考えてみたい。
男女とも数え年の七・八歳から入学する。在学年数は一定しないが、男子は一五歳、女子は裁縫を学ぶため一三歳までというのが標準だ。生徒数は女子百名、男子二百名、合わせて三百名の生徒数としている。
授業料は二か月に一度、持参する。間人寺子屋では「授業料」といわず、お祝儀またはお礼といった。授業料ではないから、祝儀の額は、父兄の気持ち次第。経済状況に応じて、月により変動があったかもしれない。年長組になるほど額をふやすこともあれば、年齢によって上下する習慣はあっただろうが、決めるのは父兄だった。
お礼だから、基準はないとはいうものの、時期の説明もないが、その額は「銭一差(九六枚)又は天保銭一枚より一朱、二朱、多きは一分に至る」とある。
銭一差は一文銭九六枚を藁の緒に通したもので、天保銭一枚の価値をもつ。正確には百枚必要だが、不足の四文は束ねるための手数料と考え、一差が百文として通用した。もっとも高額の一分を百として比べると、半額、さらにその半額、の三段階になる。ただし、全体の中で、祝儀の中身の割合はわからない。
そのほか経費として、冬季にだす火鉢の費用として一人百文を、また畳の修理や表替えのため、年にひとり百文を徴収したという。ただし、いつも不足した、とある。火鉢銭や畳銭は、欠かせない最低限の経費として父兄にもとめたものだろうが、いつも不足した理由の大きなひとつには、支払えない家の子にも催促するようなことはせず、平等に、ひとりでも多く教えたいという間人家の思いやりが前にでての結果にちがいない。
歳暮には、父兄が鏡餅に品物を添えて礼に訪れるのが習わしで、これを怠る者はいなかった。群をぬいて多くの生徒に慕われてきた間人寺子屋の、子供を思い、親を思う気持ちがお金を通して浮かび上がってくる。
岩田照彦
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