神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

食した獣肉の種類

食した獣肉の種類

 六七五(天武四)年、天武天皇が獣肉職を禁じたことは先に書いた。対象は、牛・馬・犬・猿・鶏である。牛馬は農耕のためであり、犬は門番、鶏は時を告げ、猿は人に似ている、というのが理由だったという。しかし一般に食されていた猪・鹿・雉・鶉が入っていないのは、貴族の狩猟対象だったからにすぎない。
 江戸時代、薬食いとして庶民が馴染んだのは鹿・猪・兎・狸・猿などが食用にされていた。その代表は猪である。イノシシは猪宍であり{宍は肉の意味}、カノシシは鹿の肉、古くは牛のことをタジシと呼んだこともあるというから、牛は早くから食用に供されていたようだ。
 人に似た猿も食べていた。幕末、江戸を訪れた英国人のロバート・フォーチュンは、「肉屋の店も見かけた。これらの店では牛肉を全く見かけなかった。それは日本人がわれわれのように雄牛を殺して食用に供することがないためである。またこの国には羊がいないので、当然羊も見ることができなかった。しかし鹿の肉はふつうにあったし、猿はいくつかの店で見かけた。肉屋の店先に猿が吊り下げてあったのを見た時の印象は忘れられないだろう。皮をはがれて、まるで人間の仲間に属しているような実に気味の悪い姿だった。日本人はどうやら猿の肉をきわめて風味あるものと思っているらしい」。
 一七四六(延亨三)年に出版された料理本「黒白精味集」には、鹿・猪・狸・狐・豚・狼・赤犬・牛など四つ足の料理法として、臭みを取るのに肉を何度も水で晒し、内臓には手をつけないように肉をとる。とあり、それに続いて鼠・蛇・蛙・百足・蝗についての料理も紹介されている、という。蛙や蝗については、食糧難時代を知る者には経験した味だが、その他については想像するだけで食欲がなえそうだ。
 ともあれ、一般庶民の食生活で、これらの獣肉は利用されなかったようだが、江戸では「ももんじや」と呼ばれる店で販売していた。店前には「山くじら」と書いた行燈をだして、軒先に猪や鹿、兎、猿などの野獣類をつるし、また積み重ねてあり、店内では客が鍋を囲んでいた。代表的な店は、麹町の平河町にあった「山奥屋」だった。血気盛んな男のたまり場として繁盛していたようだ。
岩田照彦
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