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夢街道
明治維新当時の商店街
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
明治維新当時の商店街
2005/11/01
夢街道
商店街の話である。昭和一二年出版の川嶋右次発行「神戸元町の懐古」の案内で明治維新当時の元町商店街をあるいてみる。
もちろん元町の名称もなく、商店街という言葉もない。街道筋にかまえる店が、まがりなりにもつながってきたところである。表通りの家数は、二百軒にものぼっていた。
東から元町にむかう。三宮から元町までの間は家なみがきれ、人家はなかった。
一丁目に入ると川瀬書店がある。元町へ入るなり文化の香りがただようまちである。
川瀬書店東側の小路を吾妻横丁という。いまの穴門筋にあたるところである。
そこでは芝居のほか大弓、楊弓、金太郎寄席、料理屋などが軒をつらねていた。横町に遊びの場をまとめている。
しばらくして芝居小屋は火災にあい、生田前筋から湊川神社内に移転、さらに相生町へうつってその名も相生座とあらためる。
三丁目山側のかかりにあるのは、瓦煎餅の創始者として知られる松花堂だ。安うりする煎餅のかけらに子供たちがむれをなす。ななめむかいの高砂屋のところには絵草紙屋がある。
通りから北にはいると善照寺がみえる。おもて門の東横に高橋の寄席がある。善照寺の東側に高橋川があり、それにそって南北にぬける道が街道と交差する南の角に干鰯屋があった。牛が表の往来へ首をつきだし、訪れるひとをむかえてくれる。荷をはこぶ動力である。その北側は相撲の稽古場だ。楠、一力、曙、精力、七化などの力士がいた。
四丁目へはいる。薬種商の赤壁が、街道のなかほどに店をかまえている。むかいは吉田七郎兵衛の柳行李や紐などをうる『刀屋』、そのならびに専崎彌五平の料理屋『てつ屋』がある。俗に『天一』とよばれた油屋、その西隣に『網又』の看板をあげる国札引換所がならぶ。
近藤漆器店のところに『早伊』という飛脚屋があった。この飛脚屋だけが旗をかかげていた。『中村』という寿司屋は、人気の店だった。
五丁目に丹波元禮という医者がいた。長崎で蘭法を修め神戸ではじめて種痘をほどこしたという、時代の先端をゆく医者だった。そのむかいに二つ茶屋村の札場があり、『あづま』の屋号をもつ饂飩屋が、夜間おもてに行灯をおき、火を灯していた。芸妓の検番はその並びにある。
六丁目には『布引』という料理屋があった。いまの三越百貨店の北側、宇治川には関門があり、その名をとって牛肉店『関門』ができ、のち『月花亭』から『音矢楼』になった。
走水神社境内には、軍談講釈が専門の寄席『橋本亭』があり、大西座という芝居小屋もある。のち柳原へうつって柳座となるが、元町の大西座跡は遊女屋『勢国楼』になっている。
元町の急激なる変遷とともに橋本、川越、俵屋、松屋、歌和屋、茶利など人に知られた富豪が、今日の繁栄から局外者になっているのはさみしい心地がする。
岩田照彦
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