神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

大西座 (七)

大西座 (七)

神戸市史に、「明治三年頃元町六丁目に大西座建設」とあるのを根拠に、歌舞伎年表明治三年(一八七〇)正月の「神戸芝居」を紹介する記述をかさね、元町の大西座を紹介してきた。が、財団法人阪急学園池田文庫編集の「芝居番付目録3」に、さらに十年近くも前から興業しているのが明らかになった。
池田文庫に収録された目録を転記する。
神戸大西芝居
  〔文久元年〕(一八六一)酉六月吉日
  座本 大谷杉藏
  けいせい花五十三驛 (はなのごじゅうさんつぎ)
  和田合戦女舞鶴 (わだかっせんおんなまいづる)
  郭文章 (くるわぶんしょう)
  嵐璃寛・嵐橘三郎・浅尾友蔵・沢村曙山・嵐舎丸・嵐寛二郎・市川滝之助
  〔作者〕嶺琴八十翁・嶺琴時助
神戸大西芝居
  〔明治元年〕(一八六八)辰八月吉日
  座本 尾上国吉
  源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)
  男作五鴈金(おとこだていつつかりがね)
  豊歳三番叟 (ほうねんさんばそう)
  尾上松緑・尾上多見蔵・嵐富三郎・市川右団治・浅尾奥山・片岡我当
  片岡島之助・中村歌津右衛門
  〔作者〕奈河七五三助・音羽矢当軒
兵庫神戸大西芝居
  〔明治元年〕辰十月吉日
  座本 尾上国吉
  花魁莟八総 (はなのあにつぼみのやつふさ)
  仁誠誉聞書 (じんせいほまれのききがき)
  廓文章
  市川市十郎・尾上多蔵・中村梅司・嵐目徳・瀬川乙女・市川新升
  市川福猿・中村翫十郎
  〔作者〕奈河忠三・奈河源二
 歌舞伎年表にみた「神戸芝居」とあるのは、「神戸大西芝居」であろう。神戸にただひとつの記録に値する大芝居であったため、「大西」の名を省いても理解されるからではないか。明治元年に同じ表現があり、同年十月の芝居ではさらに「兵庫」がつく。兵庫には、古くから小屋があり、神戸の先輩市街地として盛んだった。このとき、兵庫の小屋の座元が、改装また移転など、何かの事情で休んでおり、大西芝居と手を組み、両劇場の事業として公演したのだろうか。明治三年ごろの小屋の造作とは違いがあるにしても、文久二年には元町(当時、地名としての元町は生まれてはいないが)に大西座が存在して、立派に公演していたことはまちがいない。
 開港三十年史は、明治三年ころ、芝居の地元有力者として「音吉」の名をあげているが、ここに登場する尾上国吉は、当時おおかった興業センスのある役者がつとめる例から尾上名の役者に関係した興業師ではなかったか。
 元町の大西座をにぎわした主な役者の顔をのぞいてみよう。
岩田照彦
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