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夢街道
元町の教育事情(6)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
元町の教育事情(6)
2013/04/01
夢街道
間人寺子屋の入学案内にあたる概要を紹介しよう。規則ではないから慣習といってよい。男女共学で、入学は七~八歳から。縁起を祝い、子供が六歳になった年の六月六日に入学する者もある。一般的には幼児の就学によいとされる三月四日、節句の翌日が慣例になっていた。制度化されていないから、その年の児童をまとめて入学式のような行事はなかった。
就学には、父兄があらかじめ師匠の了解を得る。許可するか、しないか、師匠の裁量に任せていたが、収容不可能な事態を除き断られることはなかった。
入学当日、父兄が児童を伴い、あいさつする。父兄が同行できないとき、先輩の児童に父兄の代理を頼むこともあったようだ。そのためだけではないが、初めて寺子屋へやって来る日、同じ方面から通う在校生数名を迎えに行かせることも習慣になっていた。新入児童には、初日からのうれしい仲間だったにちがいない。
入学のとき、入学金を納めるのが前例になっていた。納めるのは半数程度だが、納められないからといって入学を断ることはしなかった。入学を望む児童があれば、すべて受け入れる方針が徹底していたようだ。入学金がないからといって、児童への差別もなかったろう。
入学時、もうひとつ慣わしがあった、饅頭や煎餅をすべての在学生に配ることだ。入学金を納められない貧しい家でも、これだけは数人がだしあって怠ることはなかったという。 授業料は二カ月に一回納付する習慣だが、その額も父兄にまかされていた。入学金もままならない家庭の子女も預かるくらいだから、父兄のなりわいによって授業料には大きな差があったようだ。
在学年数にきまりはないが、男子が十五歳、女子は十三歳くらいまで。女子の退学が早いのは裁縫を学ぶためである。決まった試験もなく、学期もない。児童の出来栄えによって上級の学科に進む個人授業だから落第もない。入退学は自由である。退学の時、父兄があいさつにきたが、明治が近くなるころには、在学生にさよならも言わないで私物だけを手に退学する児童もみられるようになっていたという。
父兄との連絡は義務づけていないが、一日と十五日にお礼のあいさつに顔を出す父兄が礼儀になっていた。寺子屋側からは、欠席している児童の家を在校生に訪問もさせている。海に近い土地柄、夏場、父兄の許可書を持っている児童に限り、海へ行くことを許したが、父兄の許可書のないものが海へ行ったのを見つけたときは厳しく諭す目配りもあった。
一年の節目は、正月と七夕だ。正月の書き初めはあらかじめ手本を与え、清書して持参させ、七夕は短冊に清書させる。正月五日と七月六日は「節」と称して全児童を招待、饗応した。正月は平皿に汁を添えた膳、七月の七夕には盆に盛った牡丹餅がでた。
岩田照彦
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