神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

広告に顔を出さなかった店主たち

広告に顔を出さなかった店主たち

 前回、鈴蘭灯完成を記念して新聞紙面に広告を掲載した店舗を紹介した。神戸を代表する商店街の一員として、広告に義理でつきあった店主もふくめ鈴蘭灯の設置を起爆剤に飛躍を目指した店々である。
 元町商店街を構成していたのは、神戸新聞と神戸又新日報の広告面に掲載された店舗だけでないのは明らかだ。あたまから新聞広告を拒否するひと、申し込んだが紙面の都合で掲載できなかった店、案内はうけたが、鈴蘭灯の設置そのもに疑問を抱く立場から広告に協力できなかった店主があったかもしれない。鈴蘭灯によって組織が固まり、ひとつの商店街としての一歩がふみだされた時代でもある。理由はともかく、限られた新聞広告に名前をださなかった店主、鈴蘭灯という画期的な設備を導入したそのひとたちの顔触れをたしかめたい。
 顔ぶれを知るため、昭和二年十月に神戸市役所商工課が発行した商工名鑑をひもとくことにした。大正十五年及び昭和元年度に営業税三十円以上を納付した商工業者及び資本金百万円以上の会社の支店を掲載したもので、営業品目、小売・卸・製造など営業種別、仕入先と販売先、営業税額、商号・氏名、営業所所在地、電話番号の順で整理されている。
 元町商店街に鈴蘭灯を誘導した最前線にいた店主たちである。ただし掲載する資格を有していても、登載を希望しない店舗は除く、と但し書きはある。発行の目的を「取引紹介」の参考にするためとしているから、掲載を希望しない店舗は少なかったのではないか。
 同書から、元町通一丁目から六丁目までの地番にあるすべての店舗を収録した。なかには、住所を元町通一丁目で番地はなく「三宮駅構内」と書いているもの、一丁目のあとに「穴門筋」として番地を記入する、あきらかに本通り外の店舗も「元町通」の店舗として収録した。ただし鈴蘭灯設置対照外の七丁目所在店舗は省いた。
 店舗の紹介は四十四品目に大分類され、さらに取扱品目別に細分化されている。今回は、細分化された取り扱い商品別の店舗を、元町商店街にふさわしい商品を目安に、筆者が独断で六十六項目を採択、収録した。企業組織の店舗では、個人名を記載しない場合がある。 収録した店舗は三百二十一店舗にのぼった。当時の番地から、その店が元町商店街に面していたかどうか判別できないためすべて掲載した。現在の約三百店舗からするとやや多いが、大型店の多かった時代と推定すれば、本通りに面していない店舗もかなりあるだろう。
 店主名を中心に収録するため、氏名に続けて記入する敬称は省略した。記載がある場合、括弧内には商工名鑑に表示されている屋号、企業名などを掲出した。  鈴蘭灯設置に動いた元町商店街の顔ぶれを思い描いていただくことができれば幸いだ。
岩田照彦
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