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夢街道
牛肉の話
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
牛肉の話
2015/08/01
夢街道
神仏の影響があり、仕事仲間の牛を食する習慣は、一般の庶民にまでひろがることはなかった。キリシタン禁制も、農業に必要な牛馬を殺すのは農業を衰微させるものであり、さらには牛肉を食べるものはキリシンタンの烙印を押され、嫌疑を受ける事態にまで発展しかねない。
それでも、牛を食べることを禁止するお触れがでているのに、陰で食する人はいた。そうした人たちには、食するための大義名分があった。薬用としての牛肉である。
江戸時代でも,彦根藩では牛の解体が行われていた。ご養生肉の名目で、寒中見舞いに将軍家や親藩などに、牛肉の味噌漬け、干し肉、粕漬肉を献上しており、彦根藩だけでなく、周辺の藩でも公然と牛の解体が行われていたという。開港後、牛の取引が盛んになった神戸よりも先輩格にあたる。高級な松阪牛や神戸牛よりも、早くから牛肉になじんでおり、牛肉を食する先輩地なのだ。
彦根藩も、養生肉を名目にしたように、病弱者への滋養にという理由で、牛肉は流通していた。元禄一〇年に刊行された「本朝食鑑」は、牛肉鹿肉を食するのを禁じながらも、病弱者には滋養のためそれを食用に供することを説いている。新村出の「牛肉史談」によると、病弱者の調理は、みそ汁に煮込んだり、大根や牛蒡などを煮てスープのようにしたりして、それを一週間に一度すすることにし一度に必ず二十三椀を限りとして服用させる、とある。これは広く、病人の養生や健康の回復を目的に、「薬食い」として広まっていた。
神戸よりも早く外国人を見るようになった江戸では、牛肉の需要が高まり、一八六七(慶応三)年、中川屋嘉兵衛が江戸高輪英吉利館波止場側で肉店を開業、万国新聞紙に、牛肉は健康体に宜しきのみならず別して虚弱及び病身の人又は病後に之を食すれば気力を増し身体を壮健にす、と広告している。同店は、一八六八(明治元)年、東京で第一号になる牛鍋屋を開業したとき、「御養生牛肉」と朱書きの旗を立てて人目をひいている。
明治二年には、日本海軍が、牛肉を栄養食として採用、その消費は拡大の一途をたどることになる。
岩田照彦
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