神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

西国街道

西国街道

元町夢街道を明治の半ばまでたどってきたが、ここで「西国街道」のはじまりを訪ねる旅にでたい。
 時計のネジ逆にまわすきっかけは元町商店街に「西国街道」のモニュメント設置ばなしがもちあがったからだ。
 三宮のあじさい通りをはじめ、東の街道筋には西国街道を案内するモニュメントや標識が点在する。
 街道は、かつて都から四方に通ずる山陰道や東海道、北陸道、南海道と並び「山陽道」と呼ばれていた。「西国」は「東国」に対する言葉である。国政のうえで、西国の重要度がたかまるにつれ「西国街道」の呼び名が主流を占めるようになった。
 その西国街道は、京都から大阪、西宮から海岸にで、芦屋の打出から大名行列が通る本街道と庶民が利用した浜街道に分かれる。2本の街道は生田筋で合流し、三宮神社の南の筋から元町通りへ入る。わずか1.2キロの元町商店街とはいえ西国街道としてもっとも華やかな
形で現代に息づくだが道だが、にぎわいのなかに立つと、それらしい標識はどこにも見あたらない。
 モニュメントをどのようなものにするか。全体像もきまっていないが、どのような形式になるにしても、歴史をぬきには語れない。
 元町商店街は、その発足を明治7年(1874)5月20日、当時の県知事であった神田孝平が、南北に分けられていた神戸の大手町・濱町・札場町・松屋町・中町・西町・城下町・東本町・西本町・八幡町を東西の横軸に分断する形で元町通・栄町通・海岸通・南長狭通と改称した日、としてきた。地名としての「元町」に合わせた商店街の発足である。 日本でももっとも古い商店街のひとつというが、平成21年で135年に過ぎない。ヨーロッパでは、建物が石作りのせいもあるが、300年から400年の商店街は当たり前であり、商いの性格にちがいはあっても、京都の錦市場は400年の歴史をもつという。
 「元町」という名称に固執するかぎり、地名が誕生した暦年の日にしばられる。
 街道筋の上にうまれ育った「元町商店街」という経緯からすれば、発足の時期を「山陽道」や「西国街道」のなかにもとめても不自然ではない。
 とはいうものの「山陽」も「西国」も、「元町通」のような行政上の名称ではない。
 神戸市史・本編の冒頭に「兵庫は明治維新以前久しく商港として栄え、神戸・二ッ茶屋・走水三村は海運業・酒造業等を以て主なる生業となせし地方なれば、今の神戸市を成す地域の産業状態の古くよりして農よりもむしろ商に傾きしことは明か」とある。
 「農より商に傾きし」時期を探る対称地域は1.2キロの元町商店街に限定した範囲である。道のはじまりがあり、商いのはじまりがある。商いを仲介する貨幣のはじまりがあり、流通のはじめもある。道が街道までに成長するには、それなりの歴史もあったにちがいない。さまざまな思惑にゆれながら形作られてきた「商いの道」である。
 「道」のはじまりから見ていこう。
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