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夢街道
明治のはじめ
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
明治のはじめ
2008/09/01
夢街道
商いをめざした神戸村、茶屋の開店にちなんだ二つ茶屋村、農耕と大工職を中心に村をかたちづくってきた走水村、そこを貫く西国街道に、いきなり店がたちならんだわけではない。物資交換のための市がはじまりだった。寺の門前や大木の下、 商いをめざした神戸村、茶屋の開店にちなんだ二つ茶屋村、農耕と大工職を中心に村をかたちづくってきた走水村、そこを貫く西国街道に、いきなり店がたちならんだわけではない。物資交換のための市がはじまりだった。寺の門前や大木の下、橋の上など、ひとのあつまる場所に、自然発生的に市がたった、というのが商店以前の姿である。
市は月に三度、または干支の日をえらんで定期化するなど、のち市場町という名がつけられるように、場所と期間を定例化する形で生活のなかに組み込まれていく。そんな市を横目にみながら、日常的にひつようなものを供給できるひとは、そこに店を構える。
神戸が外国への開港場になって、村々はさわがしくなった。幕府の崩壊、新政府による居留地の整備、貿易もはじまり、三村は直接世界と向き合うことになる。新しい貿易港・神戸をめざして、周辺の地域やはるか遠い所からも商いのチャンスを求めてひとが集まってきた。明治元年、新政府は神戸・二つ茶屋・走水の三村を神戸町とした。先進商業地の兵庫と同じ基準で対応するための改名である。
町名もついた。東から大手町(現一丁目)、浜之町・札場町(現二丁目)松屋町・中之町・西之町(現三丁目)、城下町・東本町(現四丁目)、西本町・市場町・八幡町(現五、六丁目)となる。そこには、町と呼ぶほどの商店がすでに集まっていた。
明治維新から明治初年にかけた元町商店街のありさまは、すでに65・66回に書いたが、あらためて紹介する。
川嶋右次が昭和十二年に発行した『神戸元町の回顧』によると、この表通りには二〇〇軒の家が並んでいた。店として取り上げているのは1丁目の「川瀬書店」、三丁目山側に瓦煎餅の「松花堂」、そのななめ向かいの絵草子屋、四丁目の薬種問屋「赤壁」、その向かいの柳行李や紐を商う「刀屋」、その並びには専崎彌五平の料理屋「てつ屋」、「天一」とよばれた油屋、「早伊」の屋号をもつ飛脚屋、寿司屋の「中村」、五丁目には丹波元禮という医者、「あづま」の屋号をもつ饂飩屋、その並びに芸妓の検番。六丁目には料理屋「布引」に牛肉の「関門」、芝居小屋の「大西座」とある。
さらに昭和一三年、兵庫県立第一神戸商業学校の商店経営調査部発行の『商業経営事情』で、寺本善五郎が、記憶をたどって地図にした明治初年の業種は、
味噌醤油商二、和洋菓子四、その他飲食料(素麺)二、建具表具一、荒物二、陶磁器一、薪炭一、油商三、紙商四、玩具一、薬品四、糸・毛糸一、小間物一、洋品類一、下駄二、傘三、仕立屋三、米屋六、茶類一、豆腐商一、煙草商一、両替屋四、質屋四、飛脚屋二、呉服羅紗三、酒(和洋)五、八百屋八、理髪二、風呂屋一、旅館一、料理屋一、医師三、その他三で、八十二の店舗があったことがわかる。
どちらも七十年ほど昔のことを思いだし書き留められたもの。川嶋氏の場合、印象に残った店を記述したものであり、寺本氏の業種別の店舗数には「書店」が入っていないことからみて、拾い忘れた店があるにちがいない。八十歳を越えての記録であり、表通りに面した家のほぼ半数の百軒が、店になっていたのではないか。
岩田照彦
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