神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

元町商店街の組織(1)

元町商店街の組織(1)

 鈴蘭灯の話から商店主の話にひろがったのを機に、手元の資料から元町商店街の組織について書いておく。
 神戸又新日報(大正十五年十一月五日)は、鈴蘭灯を紹介する記事に関連して、元町商店街に組織ができたのは明治三十四年と書いている。鈴蘭灯が完成したのは明治四十五年(大正十五年)だから、十年も前の話。鈴蘭灯建設と組織結成が直結したとはおもえない。組織の誕生理由としては、ゴミや水まき、掃除、新築、改装、修理など、利害を伴う隣近所との日常的なつながりのなかで、商いする者がお互い語り合える場の必要性を認識した、というのが発端ではなかっただろうか。
 神戸開港の熱気のなかで、店主の入れ替わりも多かったことは容易に想像される。村人として育ってきたひと、新しいまちを開こうという意気込みで移住してきたひと、開港の活気のなか、新旧店主が混在しながら発展するまちは、新しいタイプの店の出現に脅威を感じなかっただろうか。陽が落ちたあとも、明るくひとを迎え入れる大型呉服店の大丸、そごう、三越など。
 すみやかな鈴蘭灯建設への決断には、そんな背景があったことは先にも書いた。商店街の通りに面した店々が、建設と維持のための費用を負担しなければならない。組織を軌道に乗せたのは、鈴蘭灯の建設であったといってよい。
 その後、元町商店街の組織に関する記述は昭和十年、神戸商工会議所がまとめた「神戸市内商店街に関する調査」がある。小売業の改善と商店街更生のためとして、昭和十年十二月十日現在の実態を調査したもの。
 その報告によると、「商店街団体組織」をつぎのように紹介している。
 一・二丁目を合わせた「一二会」の設立も大正時代、団体員数は八十八とある。
 三丁目は「元町励商会」と称し、明治四五年の設立で団体員数は六十六。
 四丁目は「元町商友会」の名で、明治三五年の設立で団体員数は四十。
 五丁目は「元町商振会」と名付け、明治四〇年の設立で団体員数は六五。
 六丁目は「元町商栄会」で明治四〇年に設立し、団体員数五八。
img_120701.png 元町通連合会は大正時代の設立で、団体員数は三一七。共同売り出し、共同照明、共同塗油、を事業目的としている。(三丁目は「奨励会」を「励商会」に修正して表現した)
事業目的は、「元町通連合会」を含め、各丁とも共同売出、共同照明、共同塗油としている。共同売出は「せいもん払い」、共同照明は鈴蘭等の保守点検が代表するが、共同塗油は、当時すでにアスファルト舗装されていた保守のための費用と思われる。
 組織づくりの過程は、各丁単位のものが先行し、一・二会の設立によって全丁の組織がととのい、まとめ役としての連合会組織が発足した。
岩田照彦
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