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夢街道
元町の教育事情(2)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
元町の教育事情(2)
2012/12/01
夢街道
かつて元町地域を治めた尼崎藩も、おそまきながら明治二年、藩校を開いたことは紹介した。教育にさほど熱心な藩であったとはいいがたい。
しかし庶民には、教育の場があった。「手習塾」と言われ、上方では「寺子屋」とよばれたものである。
走水村には、安政年間(一八五四~一八五九)に開業した濱野玄道の寺子屋が児童数五〇~六〇人を擁するほか、二つ茶屋村には、児童数七〇~八〇人規模の大村という寺子屋と、一五〇人~三〇〇人規模の児童数をほこる間水市郎左衛門の寺子屋、児童数五〇~六〇人の川越庄上右衛門の寺子屋がある。神戸村には、ともに四〇~五〇人の児童をあずかる杜川伝兵衛、日高弥一郎の寺子屋があった。
代表格は文化三年(一八〇六)、二つ茶屋村の間水市郎左衛門近直が開いたものである。 間水家は、十数代にわたり、海運を業としてさかえた家柄だった。安永五年(一七七六)生まれの近直の時代、寛永丸と生神丸の二隻で、西国地方から大阪へ米を運ぶ事業を営み、暮らしは豊かだった。
余裕のある暮らしの中で近直は、音楽と書道の道をきわめた。音楽は、四天王寺の雅楽奏者からの笙(しょう)、篳(ひつ)、篥(りつ)の三楽器をまなび、書の道では、粟田青蓮宮についてお家流を習得したという。
書の道に相性がよかった。学友三名と寒稽古に励んでいる。三十日間、毎朝四時に起き、早起きの者から友人の家をたずね、三番目にあたった友人の家で、うすい粥をすすり、夜の明けるまで筆道に精進したという。
そんな中、近直は、家産かたむく悲運にみまわれる。米価格の暴落による輸送量の減少、それに端を発する採算の悪化、それとも海難事故によるものか。
悲運の理由は不明だが、七人の子を育てる近直である。家業は閉じても目の前の暮らしがあった。近直は、ためらいもなく、身につけた書の道を教えることに決める。寺子屋にふさわしい広さの屋敷がのこされたのも幸いした。
文化三年(一八〇六)、近直は、三十歳で寺子屋を開く。
当時、暮らしのなかに文字は浸透していた。身近には幕府が掲示する触れ書きがある。年貢の割り付けには、数字をしらなければならない。商いも、証文にはじまるさまざまな書類とのつきあいから免れない。上からの情報にかぎらず、申告や陳情、訴状もある。定められた形の文書をもとめられることもある。
その文字は、近直が身につけた御家流が全盛の時代だった。
岩田照彦
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