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夢街道
神田孝平 (一)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
神田孝平 (一)
2006/05/01
夢街道
政治家知事の伊藤のあとをひきついだのは、走水村・二つ茶屋村・神戸村の三村に「元町通」の名前をもたらした学者知事・神田孝平である。
七代目知事として任命されのは明治四年(一八七一)七月だが、着任したのは全国を三府七二県に整理された十一月である。県知事の名前も県令になっていた。廃藩置県のうごきがおさまるまで、赴任できなったのである。
伊藤は政治的な動きに先見性をもっていたが、神田は経済に視点を据えている。
幕臣の子として生をえた。はじめ儒学をまなぶが、ペリー艦隊がやってきたことで洋学の道に転向する。
若くして門をたたいたのは幕末の蘭学者伊東玄白が江戸御徒町に開いた蘭学塾〝象先堂〟である。塾には緒方洪庵もいた。塾では、三傑にはいる成績をおさめている。
文久二年(一八六二)三二歳で幕府の洋学教育研究機関である蕃書調所教授方になる。伊井直弼がたおれて、学科増設があいついだころである。蕃書調所は洋書調所から開成所と改称されて最大規模の幕府直轄学校となり、その頭取になる。開成所は明治元年六月、新しい政府が管轄する開成学校として東京大学への道をあゆむ。
神田は慶応三年(一八六七)、〝経済小学〟を出版する。イギリス自由主義経済学を日本へ移入した先覚者といわれるようになるのはそれからだ。「経済」という言葉をひろめたのも神田とされる。
明治元年(一八六八)、職務割り当ての合理化を推進、研究教育部門の充実をはかる開成所御用掛として新政府に出仕、新制度の研究を通して地租改正などを進言した。
得意の経済の面からはもちろん、あたらしい日本をどうすればいいか、神田の頭のなかには充満している。
実践の場に提供されたのが兵庫県。当時は、いまの兵庫県が豊岡、飾磨、兵庫、名東(淡路)の4つの県に別れていた。孝平が就任した兵庫県は神戸・阪神地区だけの兵庫県である。兵庫開港場管理者の知事ではなく、廃藩置県後の地方官として仕事をすることになる。
就任早々、手掛けたのは県庁内の綱紀の粛正と組織をととのえることだ。伊藤は、それなりの事蹟をのこしたが、庁内の綱紀をルールにのせるようなことはしていない。
勤務時間を厳守させることを基準に、事務の能率化をすすめる。地租改正の大事業にもふみこんだ。そればかりではない。都市景観の整備を念頭に土木設計から湊川以西の河川、道路の改修につとめる。宇治野村の県立病院隣接地を買い取って病舎を広げ、付属の塾で医師の養成をはかる。解剖所を設けてアメリカ人医師に病理学を講義させる。
戸籍法実施のための準備をすすめ明治五年二月から神戸・兵庫の地域を十区に分ける新区制を施行した。
三村を東西軸にまとめた「元町通」の名称も、その延長線上のこととして生まれている。
岩田照彦
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