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夢街道
太宰府
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
太宰府
2009/11/01
夢街道
白村江の戦いに敗れた大和政権は、唐・新羅連合軍の来襲にそなえ、窓口となる筑紫の防備体制を整えはじめた。軍事司令部的な役割を持つ太宰府の建設である。
白村江での戦いも記憶に新しい六六四年、唐から使者がやってきた。
制海権を失った大和政権は、武装しない使者の姿に安堵したものの、用向きをたしかめるまで不安は拭えない。戦いの後始末として、どのような条件をもちだすか。対応によっては、大和政権の命取りにもなりかねない。
建設をはじめたばかりの太宰府は、財政的な事情もあり、礎石をもたず瓦屋根もない掘っ建て柱の建物群である。唐からの客人を迎えれば、粗末な防備をさらすことになる。
使者の一行を迎え入れたのは、筑紫将軍所の拠点として、那珂川の河口にあった歓迎応対のための施設「筑紫太宰」である。
唐からの使者の用向きは、白村江の戦いを過去のものとして、大和政権との和親をもとめるものだった。信じるに値する、提言なのか。
唐からの使者は翌六六五年も訪れ、六六七年、六七一年と顔を見せた。一方、新羅からの使者も六六八年以降、毎年のように来日し、大和政権との和親回復を奏上した。
唐や新羅の礼に応え、大和政権も唐、新羅に使者をおくり、和平の絆が深まるにつれそれぞれの国情が明らかになった。百済や高句麗の領地を支配下におこうと企む唐、朝鮮半島から唐の勢力排除を目論む新羅、両者の思惑である。大和政権の協力を、唐も新羅も渇望していたのである。
大和政権は、唐・新羅からの使者を丁重にもてなすだけでなく、両国に使者をたてた。百済救済のための出兵によって疲弊した国力のなかで動きのとれない大和政権は、身をすくめる形で地域の和平をもとめた。太宰府の建築は、大和政権の方針により軍司令部的な設計から異国の使者を送迎するための仕様に変更された。
昭和四三年、福岡県教育委員会による太宰府の発掘調査で、白村江の戦いに敗れたあと、粗末な軍司令部跡に、政庁を中心とした諸官衛、観世音寺、筑前国分寺、学校などの建物群の存在が明かになっている。
太宰府は、大和政権の出先機関として九州全土の政治と経済面を統率した。唐や新羅など訪れた外国使節や帰化人には来朝の理由を問い、所持する文書や携行してきた持ち物を改め政府に報告、その指示を待って対応した。旅立つ遣新羅使や遣唐使も、海を渡る前の最後の準備を太宰府で整えた。そのため長官にあたる帥(そち)以下、五百人を超える役人が勤務した。太宰府は、常に各地から集められた防人で固められていた。
万葉集に残された80をこえる防人の歌のなかの一首。
韓衣すそに取り付き泣く子らを
置きてぞ来のや母なしにして
遣新羅使の一員として派遣された人の歌も万葉集に記録されている。
大船に妹来るものにあらませば
羽ぐくみ持ちて行かましものを
太宰府は、重要な外交拠点として五百年にわたり山陽道を支えることになる。
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