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夢街道
鈴蘭灯(百貨店の下足問題)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
鈴蘭灯(百貨店の下足問題)
2011/09/01
夢街道
余談になる。元町デパート破綻の理由のひとつに「下足」制度をあげた。元町デパートに出店したマルヤ靴店の片山沖次さんは、元町百年を記念した神戸新聞の取材に「売り場にはござがしいてあって、客は入り口でゲタをあずけてから店内にはいる。芝居小屋の下足番のような人がおりましてね」と、当時を振り返っている。
ゲタを預ける制度は、当時、百貨店業界でも大きな曲がり角にあった。
大正十三年、三越は、下足を継続するか、廃止するか、結論を保留していた。というより、結論をだせる状態ではなかった、といった方がよい。社内での決議をあきらめ、日本橋本店の顧客二千名に下足制度の可否問い合わせの書簡を発送して意見をきき、さらに新聞紙上にも広告をうって意見を求めたのである。
下足継続派は、日本の百貨店の清楚たるは外国に求むべからず、極めて清潔な日本の百貨店に下足のままの出入りは衛生的にみて、これ以上の不心得あるべきや。の声が代表する。廃止派は、下足預かり廃止は当然、人の意見を聞くまでもない。今までの下足預かりには懲り懲り、一日も早く廃止を希望する。
声を集めた結果は、賛否あいなかばした。
当時の東京は、大正十二年九月一日に起こった関東大震災から復興のための道路工事が盛んで、一度雨が降ると日本橋でも泥鰌が掬えるといわれるほどのぬかるみである。あの道を歩いてきた靴のままの入店に、踏ん切りはつかなった。三越が下足預かり廃止を決めたのは、関東大震災のあと再開した銀座の松屋にみられた預かることさえできない混雑ぶりである。三越は本店の西館修復工事が完成した大正十四年、大阪店は本店の例にならって大正十五年に下足制度を廃止した。
しかし神戸では、すでに下足廃止の実験をした百貨店があった。
大正十二年五月十五日、湊川の神戸実業銀行内に開店した白木屋だ。床面を木タイル張りにして土足入場にしたのである。白木屋本店は下足制度だったが、改装後は下足なしを計画していた。神戸出張所をその実験店にしたのだ。初日の入場者は一万六千人、翌十六日も一万五千人と好成績の人出だった。
専門店のあつまりという形で発足した元町デパートが、新しい専門店の組織形態で百貨店に挑戦しようとしたのだが、下足制度の体裁に、むしろこだわったのかもしれない。
経営破綻した元町デパートに対して出店者たちは元丸会を組織、入居時の契約とおり三年間は立ち退かず、げた履きに限って預かり、靴や草履はそのまま出入りできるよう改め雨天の際の傘や携帯品など預かる設備をする方針も打ち出し、下足を廃止すれば塵挨のため商品の痛みは多少ふえるが、それは商品の新陳代謝で賄い、年間一万円はうくと試算している。下足に足をすくわれたのも元町デパート廃業の一因であった。
岩田照彦
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