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夢街道
村里から市形へのなかで
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
村里から市形へのなかで
2010/07/01
夢街道
維持管理を掃除にたよってきた西国街道だが、開港を機に、まわりは怒涛のようなうごきのなかにあった。
明治二年正月、関所がとりはらわれ、だれでも自由にでかけることができるようになった。仕事をもとめて移住するにも掟にはばまれてきた時代が、むかしのことになったのである。ただし神戸・二つ茶屋・走水の三村では、外国人とのトラブルをおそれ、関門を存続させ帯刀の者や村外からの者には、県が発行した印鑑札をもたないで歩くことを禁じる措置をとったが一年たらずのことで、十月にはすべての関門がとりはらわれている。
三村の周辺には「開港地前途の繁盛なるべきは、何人も想像する所」となって大規模な工事が待っていた。
明治元年十一月、密売淫の根絶と痴情の紛争を避けるため藤田泰造が総代になって設置を出願した遊郭が、東川崎町の御用邸ちかくに開業する。遷都の故事にならって冠に福原とつけた。
明治元年七月には、整地を進めていた居留地で三十六区画の競売が行われ、外国人の町づくりが始まり、同二年四月、第二次の二十五区画の競売とつづく。二年九月、坂本村に兵庫県庁が完成する。明治三年四月、居留地の整備がすすみ、さらに六十区画が競売され、その年の六月には海岸石垣築造工事もはじまった。
海岸の工事と前後して、雨のたび居留地に隣接して流れる生田川の、堤防をあふれた水に悩まされていた居留地住民の要請にこたえ、熊内村から脇浜村先の小野浜海岸へまっすぐの水路に変更する工事も明治四年に始まった。
大政があらたまり勤王の一義を鼓吹するため楠正成の忠義をたたえるべく明治二年五月から工事のはじまった湊川神社も明治五年四月、完成の式典をあげた。湊川神社の完成を待っていたように明治六年二月、湊川神社から西へ向かう道の工事にとりかかる。
明治三年に決めていた神戸大阪間鉄道の施設は明治四年六月、喧嘩口論絶えぬほど繁盛していた福原遊郭も、鉄道施設のため湊川堤防の東、西国街道の北数丁はなれた荒涼の地へ移転、明治五年六月から鉄道線路の敷設工事が始まった。
外国人への居住地提供が追いつかず、外国人の熱い要望をうけ、明治五年二月、山部丘陵を開発、縦横に七条の道づくりにも取り組む一方、明治六年に入ると宇治野川西岸沿道工事があり、松屋町に五年を経ずして新県庁舎を完成、新生田川より東への道づくりもはじめている。
神戸の開発は、人を集めた。明治元年、神戸と兵庫を合わせた人口は二万五千人、四年八月には三万一七三六人と三割を超える伸びをみせ、六年には四万九百人、倍にせまる勢いだ。現場作業に就業するひとが多く、調査にもれたひとの数も多くあったと思われ、正確な人口は、元年からの人口を二倍する人数を超えていたと思われる。
「続々各種の土木を興せり。蓋し村里を変じて市形となし、自然の侭なる海湾をして、人工の港津たらしめんとす、勢い施工のやむべからざるものある」なか、神戸の中心道路である西国街道は二間余の幅で商いの道をささえていた。
岩田照彦
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