神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

大西座 (六)

大西座 (六)

 お互い討った首をみせ合おうと首桶を抱えてやってきた幸崎伊賀守、園部兵衛と同時に首桶の蓋をあける。
 が薄雪の首も左衛門の首もない。伊賀守も左衛門を逃したことを知った園部兵衛、預かり人、息子と娘を逃した罪を負い、切腹する覚悟でのぞんだふたりである。 それぞれ妻の見守るまえで、半ば切腹、苦痛をこらえながらも大笑いする複雑な表情の大芝居。
 薄雪姫道行
 親が、身代わりに切腹したとも知らず、薄雪は今は夫婦になった妻平と籬に手を引かれ、その在所当麻へ。
 左衛門道行
 薄雪が行く道とも知らず左衛門もまた当麻への道をいそぐ。
 五平次内
 薄雪と左衛門が転がり込んだのは、妻平の妹婿五平次の家。
 鍛冶屋
 正宗に弟子入りした国行の子国俊は、正宗から秘伝を授かったうえ、娘おれんの婿ときまる。一方、正宗の子団九郎は、正宗に片腕を切り落とされたうえ意見され、将軍調伏のための悪事を白状する。
 そこへやってきた左衛門夫婦、その命をとろうとやってきた秋月大膳の家来渋川藤馬の弟右内の刃に立ち向かい息の根をとめる。
 親の敵をうつために鍛冶屋で身なりを整え、国俊とともの出立する。
 二条河原仇討
 左衛門夫妻、国俊は、妻平夫婦と力をあわせ、見事、大膳を討ち果たす。
という大掛かりな波瀾万丈の仇討ちもの。
 寛永九年(一六三二)に刊行された浮世草子"浮世物語を歌舞伎に仕立てて公演したのは貞亨二年(一六八五)、江戸守田座というから、歌舞伎の世界でも古典である。寛保一年(一七四一)五月には、人形浄瑠璃として大阪・竹本座でも初演され、人気のだしものといってよい。
他に演目として上げられているのは「平井権八吉原通」と「福在原系図」。一日、たっぷりのだしものである。
 人気の歌舞伎は、役者が評判を左右する。大役の多い「新うす雪」は、大型の一座がとりあげる題材だ。座本尾上国吉は、どんな役者を起用したのか。
 しかし、歌舞伎年表には、「雀右衛門」のほか、役者らしい名前は見当たらない。そこで財団法人阪急学園の池田文庫「芝居番付目録3」を開いて見た。明治三年正月公演の役者名はないが、大西座の歴史が、さらにさかのぼることを発見した。
岩田照彦
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