神戸元町商店街 KOBE MOTOMACHI SHOPPING STREET

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MOTOMACHI MAGAZINE MOTOMACHI MAGAZINE 元町マガジン

元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。

元町の教育事情(13)

元町の教育事情(13)

 四書五経
 女子の教科書につづいて「特志者には四書五経を授く」とある。四書五経は、儒学の聖典である。
 四書とは、儒学の聖典といわれる論語・孟子・大学・中庸をいう。
 論語は、孔子が接した弟子などとの問答、門人同士の会話記録を、孔子の没後、門人らがまとめたもの。孟子は、孔子の孫に学んだ孟子が、孔子の説を発展させたもので、諸侯や弟子との問答のなかで仁義を説く。大学は、国を治め天下を安んずるには家庭での孝行・従順・勤勉がはじまり、と教える。中庸は、天と人とがひとつにつながるために欠かせない中庸の徳を語る。
 五経は、易経・詩経・書経・春秋・礼記を指す。
 易経は、占いの書ながら、宇宙の原理と人生処世の大道を示す哲理の書。詩経は、殷時代から春秋時代まで、祭祝などでうたう歌詞を集めている。書経は、中国古代王たちの政権授受と政治と教育を記録する。春秋は、古代の歴史書。礼記は、中国古代の礼に関する言説や制度について記したものだ。
 すべて紀元前のものである。文字数は、すべて合わせると四十三万字。 江戸時代、四書五経を読むことに徹するのが学問への入り口とされた。明治になって廃藩置県が行われるまでの四年間に開設された藩校でも、四書五経の暗記が必修とされている。貝原益軒は、その読書法について「四書をそらんぜば、そのちからにて義理に通じ、もろもろの書をよむ事やすからん」また「文字を多くおぼえざれば、書をよむにちからなくして、学問すすまず、又、文字をしらざれば、すべて世間のことに通ぜず」ともいう。
 寺子屋の実用的な勉強からは程遠い教養の世界である。間人寺子屋には、特志者のほか、「寺子でない少壮の有志者」も集まった。
 商業出版も盛んになり、読書の習慣もひろまっていた。近くに藩校はないから、武士の子弟はいないが、四書五経の講座には、庄屋や村役人らのほか、知的にものを考える人たちが、かなり存在していたのだろう。間人寺子屋では、儒学の聖典を学ぶために集まる人の年齢幅の大きいことも考慮して、公開講座のようなものを開いていたかもしれない。
 間人寺子屋周辺の、文化的な中間層の存在をあぶりだす四書五経だった。
岩田照彦
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