ENGLISH
簡体中文
繁体中文
한국어
Tiếng Việt
アクセス
サイトマップ
サイトのご利用について
ENGLISH
簡体中文
繁体中文
한국어
Tiếng Việt
お知らせ
神戸元町商店街とは
イベント
お店を探す
元町マガジン
動画・写真ギャラリー
元町マガジン
HOME
元町マガジン
夢街道
但馬牛のこと
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
但馬牛のこと
2016/03/01
夢街道
日本人による屠殺場の経営を確認して、すき焼きに始まる牛肉の話を終えるつもりだったが、神戸ビーフと呼ばれる但馬牛のルーツにも触れておきたい。
神戸牛が、実は但馬牛であることは書いたが、なぜ「但馬牛」だったのか。昭和四十六年三月、兵庫県農林部畜産課発行の「兵庫の和牛」から、但馬牛の成り立ちをみると、日本最古の史書とされる太安万呂が七一二年に選録した古事記、七二〇年に成立した日本書紀、七一三年から作成した各地の風土記などに、牛を利用してきた韓民族が、但馬の国に渡来してきたことが記されている。
さらに、同年代にできたとされる続日本記には「但馬牛、耕転、轢用、食用に適す」と特記されており、当時、すでに地元民の暮らしのなかに根付いており、その後、優れた農耕牛また轢牛として、水田や陸上運搬に使われてきた。つまり,農作業などに牛を使い、食用にも供する大量の移民が、朝鮮半島から但馬・出雲地方にやってきた、というのだ。続日本紀には、出雲牛、農耕に適す、五島牛、農役に適す、但馬牛、耕転、轢用、食用に適した、とある。
但馬牛は性質温順で耐久力に富み、体型・資質にも優れ、雄牛が轢牛として、雌牛は耕牛として高く評価され、近畿一円に顧客をもっていた。なかでも種牛としては、大城谷(現・美方郡美方町小代谷)、八木谷(現・養父郡関宮町)、大屋谷(現・養父郡大屋町)のものを第一としている。当時の但馬牛は、黒毛が多く、体高は三尺二寸内外だったようだ。
天正年間(一五七三~一五九二)、但馬牛の取引は養父市場(現・養父郡養父町市場)が、集散地市場としての機能をはたしていた。他国への販売は同市場の牛商人によって行われ、他国商人との間では、交渉や紛争もあったらしい。嘉永二年(一八四九)、但馬の国、村岡藩主の山名氏は、領内の年貢とり立ての方法として子牛市を開催、紀伊・和泉・若狭・丹波・丹後の五か国の牛商らと交渉して、七味郡福岡村(現・村岡町福岡)、村岡町(現・村岡町)および和田村(現・村岡町和田)の三か所で雌子牛市を開設したのが村岡市場の起源という。この市場では、他領の牛の販売を禁止している。
話はとぶが戦前、神戸ビーフは、飼育された但馬牛の雌、としていた。が、戦後、肉牛の主流が雌から去勢牛も含まれるようになり、いま、但馬牛を素牛として県内で飼育され、県内食肉センターに出荷されたもののうち、格付けが「上」以上のもの、とされている。
岩田照彦
2017年
洋服の話(8)
2016年
洋服の話(7)
洋服の話(6)
洋服の話(5)
洋服の話(4)
洋服の話(3)
洋服の話(2)
洋服の話(1)
缶詰の話(2)
缶詰の話(1)
但馬牛のこと
屠殺の話(2)
屠殺の話(1)
2015年
元町通の獣肉店(2)
元町通の獣肉店(1)
食した獣肉の種類
牛肉・販売量の増加
牛肉の話
肉食雑記(3)
肉食雑記(2)
肉食雑記(1)
維新前の肉食事情
すき焼き(2)
すき焼き(1)
神戸牛
2014年
写真の話(5)
写真の話(4)
写真の話(3)
写真の話(2)
写真の話(1)
神港中学校
六月女子学校
商業教育
元町の教育事情(18)
元町の教育事情(17)
元町の教育事情(16)
元町の教育事情(15)
2013年
元町の教育事情(14)
元町の教育事情(13)
元町の教育事情(12)
元町の教育事情(11)
元町の教育事情(10)
元町の教育事情(9)
元町の教育事情(8)
元町の教育事情(7)
元町の教育事情(6)
元町の教育事情(5)
元町の教育事情(4)
元町の教育事情(3)
2012年
元町の教育事情(2)
元町の教育事情(1)
昭和十年十二月時の元町商店街
元町商店街の組織(3)
元町商店街の組織(2)
元町商店街の組織(1)
初代鈴蘭灯 弾丸に
広告に顔をださなかった店主たち(6)
広告に顔をださなかった店主たち(5)
広告に顔をださなかった店主たち(4)
広告に顔をださなかった店主たち(3)
広告に顔をださなかった店主たち(2)
2011年
広告に顔を出さなかった店主たち
新聞広告紙面に登場した店舗群
鈴蘭灯の仕様と設置場所
鈴蘭灯(百貨店の下足問題)
鈴蘭灯(当時の元町で商う大型店)
鈴蘭灯(元町デパート)(8)
鈴蘭灯(元町デパート)(7)
鈴蘭灯(元町デパート)(6)
鈴蘭灯(当時の電力事情)(5)
鈴蘭灯(当時の世情)(4)
鈴蘭灯(続ける理由)(3)
スズラン灯余談
2010年
スズラン灯
舗装のはじめ
道路拡幅
広くならなかった街道
村里から市形へのなかで
「みち」の管理
「みち」の構造
「道」についての余談(2)
「道」についての余談(1)
西国街道から商いの道へ
市
2009年
貨 幣
太宰府
海外派遣
山陽道
西国街道
明治四十四年ころの商店街(八)
明治四十四年ころの商店街(七)
明治四十四年ころの商店街(六)
明治四十四年ころの商店街(五)
明治四十四年ころの商店街(四)
明治四十四年ころの商店街(三)
明治四十四年ころの商店街(二)
2008年
明治四十四年ころの商店街(一)
明治15年の4~1丁目店舗群
明治15年の6・5丁目店舗群
明治のはじめ
走水村の商い
二つ茶屋村の商い
神戸村の商い
大西座 (十)
大西座 (九)
大西座 (八)
大西座 (七)
大西座 (六)
2007年
大西座 (五)
大西座 (四)
大西座 (三)
大西座 (二)
大西座 (一)
見世物
売込問屋
営業束縛の悪弊を禁ず
触れ書きにみる心意気
明治維新直後のお触れ 掃除
維新直後の布達2 帯刀
布達にみる世相 乗馬
2006年
幕末から明治にかけての村役人
神田孝平 (七)
神田孝平 (六)
神田孝平 (五)
神田孝平 (四)
神田孝平 (三)
神田孝平 (二)
神田孝平 (一)
明治初期3村の暮らし
2代目から6代目までの兵庫県知事
伊藤俊介(博文)
東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)
2005年
明治初年の元町商店街
明治維新当時の商店街
神戸、貿易のはじまり
三村の外国人取引
雑居地と貿易
雑居地の警備
雑居地、その家賃
柴田剛中(10)
柴田剛中(9)
柴田剛中(8)
柴田剛中(7)
柴田剛中(6)
2004年
柴田剛中(5)
柴田剛中(4)
柴田剛中(3)
柴田剛中(2)
柴田剛中(1)
専崎彌五平(6)
専崎彌五平(5)
専崎彌五平(4)
専崎彌五平(3)
専崎彌五平(2)
専崎彌五平(1)
生島四郎大夫(12)
2000年
続 神戸村
神戸村
二ッ茶屋村
走水村
三軒屋の相生町
湊川
兵庫のまち
はじめに
PCサイトを見る
スマホサイトへ戻る