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夢街道
西国街道から商いの道へ
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
西国街道から商いの道へ
2010/02/01
夢街道
古くは山道道といい、のち西国街道と呼ばれるようになった「道」の成り立ち、商いに欠かせない「貨幣」のはじまり、商いの場を象徴する「市」と商店街を構成する要素についてみてきた。どの角度から検証しても、わが国における商いの場は、七世紀のはじめには顔をそろえていたことが分かる。
現在の元町通に商いの芽がいつできたか、結論をいそごう。
元町通はその昔、神戸・二つ茶・走水の三村に分かれていたことはすでに書いた。
「西摂大観」によると、もっとも東に位置する神戸村につき、古老の昔物語として今の城ケ口辺にありて、元と生田神社に附属せる四四戸なるに、後ち商業の為め今の濱地へ移転せしものなり(中略)元禄の頃は既に三百余戸とある。商業のため濱地へ移転した時期は明らかにされていないが、元禄のころ、すでに大きな村落を形成していたことがわかる。
二つ茶屋村について同書は、
其の始め中宮村より二軒の茶店を街道に出だしたるに基く、此の店は高木三城と
云へる二氏なりしと、然るに素より土民にあらず浪士の果てなれば、之により応仁以
来諸国より集うもの遂に十八軒に至る、是れぞ二つ茶屋村の起因也
室町幕府内の勢力争いで頭角をあらわした細川勝元と山名宗全、将軍足利義政の後継争いと結び付いて、それぞれの軍を京都に集め、一四六七年(応仁元年)国をふたつにわけて始まった応仁の乱。それに乗じ地方でも守護代や国人の反乱に土一揆と飢饉の世界から逃れたふたりの浪人者が、二軒の茶店を街道に出したというのだ。
そして同書は、いう。
其後此所は青物市場となりしを以て市場町と呼ぶに至れり
隣村の神戸村をふくめ周辺に購買力をもつ人々によって市場の登場になったのである。
その後も、海と山にはさまれた地域ながら、界隈に人を集めてきた。
目の前の山手には一五七四年(天正二年)、織田信長の命により荒木村重が、家臣野口与一兵衛を奉行として一年の短期間で築造した花隈城が完成する。城郭内は中央部に本丸・二の丸・三の丸があり、東のブロックに侍町が二筋、足軽町が三筋、西のブロックに四町の町家を取り込んでいる。池田家文庫が所蔵する花隈城絵図を見ると、城郭のすぐ南には「町」があり、さらにその南に西国街道として一本の道が東西に伸びている。郭という区切りはあっても、日々の暮らしの中では青物市場を重宝したにちがいない。
一五八五年(天正十三年)、二つ茶屋に近い神戸村の山側に、浄土真宗の名刹、善照寺も創建された。明治になって鉄道施設のため移転したが、第二七代の住職を迎えて現存する大寺である。その門前町としても、街道は一段の賑わいをみせただろう。
青物市場から市場町の町名を生み落とした山陽道は、九州に君臨する有力な藩の存在を意識していつのころからか西国街道と呼ばれるようになる。
四〇〇余年後のいま、市場町を足掛かりに元町商店街として華をかひらかせている。
岩田照彦
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