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夢街道
柴田剛中(4)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
柴田剛中(4)
2004/11/01
夢街道
函箱奉行をつとめたあと、剛中はふたたび欧州をたずねることになる。
幕府は、攘夷の嵐のなかにある。大名の親分、という存在であるが、日本国を代表する政権を維持していかなければならない。足もとのゆらぎを固めるため、将軍家茂と皇女和宮の婚儀により公武合体を形にし、外国人にたいする殺傷事件のつぐないにも、当事者ではないにもかかかわらず矢面にたって賠償する。日本国の顔は、幕府にある。
幕府は、大名の親分という地位から、名実ともに統一政権とすることである。そのためには徳川が幕府をおこしたころのように、絶対的な力をそなえなければならない。海軍奉行勝海舟の罷免も、こうした戦略のなかにある。
権力の強化には、軍備がいる。幕府は、駐日フランス公使ロッシュの進言で、横須賀に製鉄所をけんせつすることをきめる。総額240万ドル、4年で製鉄所、大小ふたつの修船所、3つの造船所、武器庫、役人、職人のための役所の建設までふくむ契約内容である。製鉄所や造船所などの設置は、地形や水深などが適していたことにくわえ、南仏のツーロン軍港に似ていることから横須賀湾にきまる。
慶応元年(1865)6月27日。剛中は、大日本外国事務奉行兼理事官の肩書で、横浜からふたたびパリに向かう。水品楽太郎(外国奉行支配組頭)塩田三郎(フランス語通弁)、福地源一郎(オランダ語通弁)ら9人をしたがえての渡欧である。
マルセーユについた剛中は、建設の責任者に指名されているヴェルニーとともに精力的に動き出す。皇帝ナポレオン3世と会見したほか、外務省や各国公使館の訪問、陸・海軍省との折衝、軍港、海軍工廠などを見学する。銃や砲弾をつくる工場があり、鉄板を切断し、穴をうがつ機械、銃身や砲身のなかに線条をいれる機械もある。ブレストの工廠では、九〇トンまでの部材を吊り降ろしできる起重機、船が通るとき左右にひらく可動橋、港口の両側には砦があり灯台がある。
剛中はロンドンまで足をのばす。外相と会談のあと、英国内の造船所、砲台、砦、海軍工廠などを視察する。
先の訪欧でも剛中は、つぶさに工場を見学してきたが、開港・開市の延期が目的であったため、機械のこまかいところまで、目はとどかなかったことを教えられる。剛中には、驚きをすぎて、未来の空想社会を眺めるような気持ちである。オランダに留学中の榎本釜次郎らの姿をみて、未来に期待がもてる気持ちになったものの、購入した西洋式艦船が故障しても、日本人の力で修理すらできない現実がある。このおくれを一刻もはやくとりもどさなければならない。
随行した福地源一郎は、外国人の事務処理をみて「日本の官吏ならば、3カ月も4カ月もかかるような仕事を、わずか2週間か3週間で処理し、しかもその間、余裕しゃくしゃくたるものがあり、一行舌を巻いて恐れ入った」と記す。
慶応2年(1866)1月26日、剛中はフランス海軍技術者の雇用、機械類の購入、陸軍教官の招請工場建設の要員採用をまとめて横浜へ帰着する。
岩田照彦
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